Quantcast
Channel: nyfree’s blog
Viewing all articles
Browse latest Browse all 70

真実を語れ!!

$
0
0

映画「陪審員2番(原題:Juror #2)」を、U-NEXTの配信で観た。 

この映画は2024年のアメリカ映画で、映画のジャンルは法廷スリラーだ。 

この映画の主人公は、ジャスティン・ケンプというもうすぐ子供が生まれる男だ。ケンプの仕事は宗教誌に記事を書くことで、ケンプはインテリであると推測できる。ケンプの妻の、アリソン・クルーソンは教師の仕事を産休で休んでおり、アリソンもインテリだ。ケンプとアリソンは夫婦別姓で、仲良く暮らしている 

2021年の10月25日に、ジョージア州で事件が起こった。恋人同士がケンカして別れた後に、女性のケンドル・カーターが他殺された状態で見つかったのだ。ケンドルと付き合っていた男のジェームス・マイケル・サイスは、ケンドルを殺した容疑がかかっている。 

この事件の陪審員として偶然に、ケンプは陪審員として招集される。ケンプはこの事件の陪審員をすることで、実はこの殺人事件の容疑者が自分であることに気付く。ケンプは2021年の10月25日に、この事件に関係のあるバーにいたのだ。 

ハイド・アウェイというバーで、サイスとケンドルはケンカをして、ケンドルは怒ってハイド・アウェイから歩いて帰り出した。サイスが同棲をしたいというケンドルの要求を拒んだためケンドルは怒った。 

ハイド・アウェイから歩き出した、ケンドルは、同じバーから出たケンプの車に轢かれて橋の下に落ちる。ケンドルは、森の中の橋の上にいるところを、ケンプに轢かれた、。ケンプは、鹿を轢いたと思い周囲を見回すが、その日は大雨で視界が悪くケンプは何も見つけられず、その場を去った。 

ケンプが鹿だと思ったのは、ケンドルであり、人間だった。ケンプには、酒を飲んで運転して木にぶつかった事故があり、そのためケンプは、もし酒を飲んで車を運転して人を轢いたとなると、最悪で終身刑になることがわかっている。 

ケンプが2021年の10月25日に、ハイド・アウェイにいたのは、その日がケンプとアリソンの間の双子の子供の出産予定日だったからだ。双子は、なんらかの理由で死んでおり、おそらく流産だったと思われる。出産予定日前にケンプとアリソンの子供は死んでいた。 

ケンカして酔っ払った女性を森の中に残して去ったサイスと、妻に優しいケンプ。陪審員若い女性は言う。「サイスは、酔っぱらった女性を森の中に残したクソ野郎よ!!」と。サイスは不良集団のメンバーのタトゥーをしており、それもサイスの印象を悪くしていた。 

この映画の最後まで、ケンプは自分がケンドルを殺したことを自白しない。ケンプは、検事には州を守る仕事があるといい、ケンプには家族を守る仕事があるという。ケンプは、真実は人を不幸にすると言い、事実を述べない。 

ケンプに疑いを持つ人が出てくる。陪審員のチュウスキーと、検事のフェイス・キンブルーだ。チュウスキーは元警官で、陪審員の規則を無視して、勝手に個人的にケンドルが死んだ事件の捜査をしてしまう。そのため、チュウスキーは陪審員から外されることになる。 

そのチュウスキーがつかんだ証拠は、ケンドルが轢き逃げされたという推測に基づいて、車の修理履歴を調べたものだった。その修理履歴は、法廷で証拠として利用される。それを、見たのが検事のフェイス・キンブルーだった。 

キンブルーは、同僚に言われる。「今の君は、検事と言うより、政治家だ」と。これは、キンブルーに対しての侮蔑の言葉になる。キンブルーは女性をDVから守る運動も行っており、自分は正義のために仕事をしていると思っている。 

正義により人は裁かれる。その正義とは、真実でなければならない。キンブルーはいつしか、女性の人権のための活動をすることが目立つようになり、政治家のような人気取りをする人間に成り下がっていると言われる。真実より、人気だ。 

正義とはなにか? 家族のために、有罪の市民を見逃すのが正義か? それとも正義とは、真実に基づき下されるものなのか? もちろん、正義と真実は一致することが望ましい。それが、社会を維持するために、法を法たらんとするためには、必要だ。 

法内と法外という区切りがある。ただし、社会は法内であり、社会は法によって統治されるべきだ。そして、法こそは、民衆であり、民衆のために法がある。その法を司る検事が、法を守らない、真実を追求しなくなったらどうなるか?  

そこでは、司法の腐敗が始まる。昔、出世して会社や社会に貢献した人が、轢き逃げをして、人を殺したとする。その犯罪者を無罪にしていいのか? もし、犯人が無罪となれば、地位により殺人は可能という判断が下されることになる。 

検事が、罪を見逃すことにより、地位が高ければ犯罪しても許される、インテリで日頃の行いが良ければ、犯罪をしても許される。そのような、前例を作ることにより、司法システムは腐敗していく。確固たる証拠があれば、確固たる結論が必要だ。 

この映画の主人公の犯罪者ケンプは、インテリで妻を愛し、子を愛し、郊外に暮らし、いわゆるエリート、ブルジョワだ。それに対して、容疑をかけられるサイスは、不良グループに属して、荒くれものだ。 

ここには、明らかにバイアスがかかっている。ケンプは、善良な市民。サイスは、悪い市民。というような。このバイアスが、検事であるキンブルーの中にあることも事実だ。だから、キンブルーはケンプが怪しいと思いながら、ケンプを告発しない。 

バイアス=例えば、その人の属性により、その人が悪いことをしていると思い込んでしまうこと。バイアスの話しをするのは、陪審員のアジア系の女性の医学生だ。バイアスがかかると、人は正常な判断ができなくなる。それは、検事でも。 

正義は様々にあるかもしれないが、真実は一つだ。そして、正義は真実にのっとるべきだ。政治家が正義と言い出すと、多くの人を救えば、一つの悪事は許されるということになる。が、その事実を公然のものとして語る政治家は愚かだ。 

「キンブルーは、検事よりも政治家みたいだ」。この言葉には、政治家は実はただの嘘つきであることが明確に示されている。政治家は、嘘をつくことが仕事だということもできるからだ。しかし、それは決して政治家が語ることではない。 

政治家のように嘘を語る検事は、既に検事の体を成していない。政治家だけでなく検事が嘘をつきだしたら、社会は腐敗を前提として、成り立つようになる。検事が真実を語らなくなった時、社会は腐敗して、崩壊していくだろう。 

 


Viewing all articles
Browse latest Browse all 70

Trending Articles