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精神的高揚が破滅に向かう場合

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映画「ドラッグストア・カウボーイ(原題:Drugstore Cowboy)」を観た。

この映画は1989年のアメリカ映画で、映画のジャンルは青春映画だ。

この映画の主人公はボブという男だ。ボブはダイアンを妻として、友達のリックとその彼女ナディーンと一緒に、ドラックストアを襲っては、薬をやり、薬をさばいて生活をしている。それがこの映画の前半だ。

この映画の時代と映画の舞台は、1971年のアメリカのオレゴン州にあるポートランドだ。1969年代後半からサマー・オブ・ラブ呼ばれるカウンター・カルチャー文化が、アメリカ、イギリスを中心とした世界中で起こり、自己の意識の拡張のため、はたまた快楽主義のためにドラッグが流行した。

サマー・オブ・ラブ別名、フラワー・ムーブメントは、ロック・ミュージックの世界にも影響を与え、ドラック体験が基になっていると思われるサイケデリック・ミュージックと呼ばれる音楽が流行をした。

ビートルズも、フラワー・ムーブメントの影響を受けて、「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」等の、ドラッグからの影響が色濃く出ているアルバムを作っている。

アメリカのバンド、ザ・ドアースもサイケデリック・バンドの代名詞として紹介されることがある。ジム・モリソンをヴォーカルとしたこのバンドは、他に電子オルガンのレイ・マンザレック、ギターのロビー・クリーガー、ドラムのジョン・デンズモアからなり、「ハートに火をつけて」「ジ・エンド」等の曲では、長いインプロヴィゼイションを行い、ドラックでハイになった状態で、聴くのに適した音楽を作った。

フラワー・ムーブメントに影響を与えた本として、オルダス・ハクスレー「知覚の扉」があげられる。この1954年発行の本は、幻覚剤によるサイケデリック体験の手記と考察から成る。

当時なぜドラッグが流行したか? ということだが、それはドラックが簡単にハイになれるものであったということだからだろう。理論的理由付けとして、ドラックが意識の変革をもたらし、内面的な覚醒が起こるというものがある。

サイケデリック・ムーブメントを率いた人物には、ロック・ミュージシャンだけでなく、ロックの誕生に影響を与えた、ビート文学の人物たちの姿もあった。アレン・ギンズバーグは有名なビート詩人で、当時の若者たちに絶大な影響を与えていた。

アレン・ギンズバーグはゲイでもあった。ビート文学者たちと並んで登場するのが、この映画「ドラッグストア・カウボーイ」にも登場するウィリアム・バロウズだ。ウィリアム・バロウズは、ドラッグ中毒者で作家だった。

バロウズの作品にはドラッグの影響が色濃く見られるものがあり、バロウズの存在とドラッグは切り離して考えることができない。バロウズは多くの若者がドラッグ中毒になり、命を落としていく中で、83歳まで生きた。

この映画「ドラッグストア・カウボーイ」の中で、バロウズがマーフィ神父として登場して、主人公のボブが断っているドラッグを、マーフィ神父に渡すシーンがある。そのシーンの最後に、マーフィ神父はドラッグを聖書の上に置く。

聖書とドラッグ。もしくは聖書と性的エクスタシー。つまり、聖書とセックス。聖書とマスターベーション。人間の精神の高揚は、宗教体験に利用される。人間の精神が高揚した状態が、神に近づいている証拠だと、キリスト教では教えているように思われる。

つまり、宗教的な体験は、人間の肉体の高揚と切っても切り離せない。その高揚が、マスターベーションであったり、ドラッグ体験であったりする。神と精神の高揚は切り離しがたく、精神の高揚を付随物なしで行うことができるのが、セックスやマスターベーションだ。

この映画「ドラッグストア・カウボーイ」で、主人公のボブが映画の前半でドラッグにはまっていて、セックスに興味がなくなり、妻のダイアンが欲求不満になっていても、セックスの要求に応えることができないシーンがある。

これと逆に映画の最後の辺りで、別れたダイアンが、ボブのもとにやって来て、ドラッグを断っているボブが、ダイアンにセックスを求めるシーンがある。ドラッグがある時は、セックスは必要なく、ドラッグがなくなるとセックスという精神の高揚が欲しくなる。

これは、人間に精神的高揚が必要であることを物語っているように思われる。ただ、精神的高揚をセックスや、ドラッグに求める必要はない。人は夢中になれることがあると、それだけで精神が高揚する。その高揚は、セックスやドラッグの代替として、十分な価値を持つ。

セックスで腹上死する人や、精神的な刺激を求めすぎてスリルに身を任せて危険な行為をして(例えば、エベレストへの登山)死に至る人がいるように、ドラッグでも破滅に導かれる人がいる。

最近(2023.7.29)のアメリカで、ドラッグ中毒で死亡するケースが目立つのが、オピオイド中毒による死だ。オピオイドは痛み止めとして使われ、その服用からオピオイド中毒になり、死に至る人が後を絶たない。

映画「ドラッグストア・カウボーイ」の主人公のボブは、ドラッグによるオーバードーズによる死からは、逃れることができるが、ドラッグの取引関係のいざこざによるトラブルで、銃で撃たれて、救急車で病院に搬送される。

それが、この映画の冒頭とエンディングになっているが、そこで描かれているのは、ドラッグによる人生の破滅だろう。ただ、人間の破滅には多種あり、その一例が、ドラッグということなのだが。

ボブがドラッグをやりだした理由に、日常が死ぬほど退屈で恐いということがあるように思われる。一日一日を生きるのが恐いので、ドラッグをやって気を紛らわす。または、先進国の後進国搾取によって成り立っている日常生活が嫌で、ドラッグにより紛らわす。

余談だが、1980年代のペルーでは、コカインの製造が盛んだった。そのコカインは、先進国に売られるわけだが、そのコカインの撲滅のために、アメリカのCIAが動いている。コカインで、ペルーの麻薬組織や左翼ゲリラは莫大な金額を手に入れた。

そのような、背景を持つコカインはもちろんアメリカでも売られることになる。この映画の時代背景は1971年なので、まだペルーのコカインの麻薬密売は盛んになっていないが、マーフィ神父が、映画中で述べる麻薬戦争は、あながち嘘ではないことになる。

この映画「ドラッグストア・カウボーイ」が作られた、1989年には、ペルーの麻薬組織とCIAの戦争が起こっていたわけで、その事実を監督や脚本家が知らなかったとは考えにくい。

マーフィ神父の予言は、1980年代の麻薬戦争の事実をもとに作られたセリフではないかとも思える。

人は、非日常つまり、精神的高揚なしには生きていくことができない。それを得る手段はいろいろある。セックス、マスターベーション、読書、クライミング、登山、ランニング、ヨガ、なんでもいい。集中できることがあれば、生きるための精神的高揚は、時には努力と時間が必要になるかもしれないが、手に入れられるものだ。


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