映画「セックスと嘘とビデオテープ(原題:Sex, Lies, and Videotape)」を観た。
この映画は1989年のアメリカ映画で、映画のジャンルはドラマだ。
この映画の主な登場人物は、弁護士のジョンとその妻のアン・ビショップ・ミラニー、アンの妹でジョンの不倫相手のシンシア・ビショップ、そしてジョンの大学時代の友達のグレアム・ダルトンだ。
この映画で、描かれているのは、この映画のタイトル通りに「セックスと嘘とビデオテープ(原題:Sex, Lies, and Videotape)」についてだ。
弁護士のジョンは映画の冒頭でこう電話で話している。「結婚してからの方がモテる。本当だ。結婚指輪をしているとモテるんだ。若い独身時代に女に金を遣っていたのは無駄だったよ。今なら金を遣わずに女とセックスできる」と。
ジョンは、妻のアンの妹シンシアと不倫をしている。ジョンは、シンシアと会ってセックスばかりしている。シンシアの方は、完璧な姉アンに対する嫉妬から、ジョンとセックスをしている様子だ。シンシアは、アンの関係する男すべてに関心がある。
アンの関係する男として登場するのが、ジョンの大学時代の友達のグレアム・ダルトンだ。グレアムは大学時代を過ごした街に帰ってくる。グレアムはこの街で、アパートの部屋を見つけるために、ジョンとアンが住む家に、少しの間泊まることになる。
グレアムは、ジョンとアンの家にいる間に、アンと知り合うようになる。グレアムは、アンと一緒に、グレアムの住む部屋を探す最中によったカフェで、アンにこう言う。「僕はインポテンツなんだ」と。それを聴いて、アンはグレアムに興味を持つようになる。
アンは、映画の冒頭で精神科医とのカウンセリングを受けている。そこで、アンは言う。「私は男の考えているようなセックスに興味はないの。私はセックスをそんなにしないの。セックスにはあまり興味がない」と。
ジョンとアン、ジョンとグレアムは、それぞれ対照的だ。グレアムは、大学時代はジョンみたいだったと言う。ジョンとは、どういう人物だったかを表現するのに適している映画は「プロミシング・ヤング・ウーマン」という映画だろう。
映画「プロミシング・ヤング・ウーマン」では、男性による女性のレイプが描かれている。医大のエリート男性が、女性とセックスをしまくるのだが、そのセックスがレイプだったということだ。ジョンも弁護士になっているのでエリート大学出身だろうし、グレアムはその友達だから同じ大学に多分通っていただろう。
アメリカでは、大学でレイプされる危険を女性は常に感じている、という調査がある。ジョンもグレアムもおそらく、大学で女性を脅かしていた、危険な男性たちの一人なのだということが推測できる。
ジョンと、ジョンと親しかったころのグレアムは、レイプをしていたかどうかはわからないが、女性とセックスすることに夢中で、男の考えるセックスをするために、女性を追いかけまわしていた可能性がある。
ただ、ジョンは大学時代と変わらずセックスに夢中だが、グレアムはジョンとは異なっている。グレアムはインポテンツだ。グレアムは、インポテンツだが、当然、性欲はある様子だ。グレアムは、女性の性愛に対する経験や感じ方を、ビデオテープにインタビューとして撮るという個人的な試みのようなことをしている。
グレアムが、なぜ女性の性的な告白をビデオテープに撮り続けるか? それは大学時代に付き合っていた女性の、エリザベスに対する罪の意識からではないかと映画では思わせる。グレアムは、エリザベスに対して優しくできなかったのだろう。
グレアムは数々の女性の性愛に対する告白をビデオに撮ることで、女性の性愛を理解しようとしているかのようだ。それにより、大学時代のグレアムの女性に対する扱いから、グレアムの中にある女性像と現実の女性像との間の溝を埋めて、エリザベスに許しを求めようとしているようだ。
また、同時にグレアムは、女性の性愛の実態をビデオテープを通じて観ることで、女性の性愛を直視して、自らのインポテンツを克服しようとしているようにも見える。つまり、以前のグレアムの勃起は、女性が求めている勃起ではなくて、グレアムの思い込んだ女性像に対する勃起だ。グレアムは裸になって、女性が性愛を告白するビデオテープを観ている。
ジョンとシンシア、グレアムとアン。ジョンとアンは結婚をして、貞節の誓いを立てている。つまり、ジョンとアンは、結婚の儀式で、不倫はしませんと誓い合っている。だがジョンはシンシアと不倫して、アンはグレアムに心惹かれたことに罪の意識を持っている。
この映画では、ジョンがグレアムの撮ったビデオテープを観るシーンがある。妻の、アンが映ったビデオテープをジョンが観る。その時、結婚の貞節を裏切る発言が登場しそうなシーンになると、映画の音楽が急にホラーのような音楽になる。
つまり、ジョンのような、結婚における妻の貞節のみを信じる、自分の財産を離婚によって持っていかれたくないような男性にとっては、妻の浮気、妻の性欲が自分以外に向くこと、妻の他の男性への好意は、恐怖だ。
グレアムとアンは似ている。セックスに対して淡白な点で。セックスにたいして淡白とは、男の理想通りのセックスをしないということだ。つまり、男の思うようなセックスをしないのがアンで、インポテンツである点でグレアムはアンと近寄りやすい。男の理想通りのセックスとは、欺瞞に満ちたもので、単なる害悪に過ぎない。
映画の冒頭で、アンは言う。「この家いいでしょ」「私は夫がローンを払うこの家のせいで、夫に文句を言うこともできない」と。アンは、マイホームを持つ夢を叶えながら、実はそのマイホームを持つ夢は、アンを隷属する身分に置いている。
だから、アンはこういうべきなのだ。「この家のハウス・スレーブ(House slave)なのよ」と。ハウス・スレーブとは、直訳すると家庭内奴隷のことで、アフリカ大陸からアメリカに連れてこられた黒人がアメリカでしていた隷従状態のことだ。
アメリカの奴隷主は、黒人の奴隷との間にたくさんの子をつくって売った。つまり、ハウス・スレーブと、結婚によって生まれる専業主婦とは、似ている。専業主婦は、鞭では打たれないかもしれないが。
女性に対する家庭内暴力というものがある。それは、黒人奴隷が受けていた、鞭打ちと似ている。白人男性のみならず、世界中で男性は女性をハウス・スレーブとして搾取している。中には、優しい夫もいるかもしれないが。
この映画「セックスと嘘とビデオテープ」は、結婚の不平等さに目を向けさせ、結婚の貞節の強制の具合を明らかにする。女性の性的告白、つまり、女性の正直さは、家父長制に対して、決定的な破壊力を持つのだ。