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構造的差別

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映画「ドゥ・ザ・ライト・シング(原題:Do the Right Thing)」を観た。

この映画は1989年のアメリカ映画で、人種問題を扱ったドラマ映画だ。

この映画の主人公は、ピザ屋の配達の仕事をしている黒人青年のムーキーだ。ムーキーには、妻と子供がいるが、ムーキーは週に一度しか妻のもとに帰らず、妻の母親には嫌われ、妻はムーキーの仕事に不満があり、ムーキーは育児もしていない。

そんなムーキーが働いているのは、ニュー・ヨークのブルックリンの黒人街にあるイタリア系白人のピザ屋だ。ピザ屋の店主はサル。従業員は配達のムーキーの他に、サルの長男のピノ、そして次男のビトだ。

ムーキーが働いているサルのピザ屋には、イタリア系の有名人の写真が飾ってある。アル・パチーノフランク・シナトラ、シルベスタ・スタローンなどの、イタリア系の有名人の写真が並んでいる。

サルのピザ屋のイタリア系の写真に、黒人の有名人の写真がないのは気に入らないと、言い出す黒人が、バギン・アウトだ。バギンは、安定した稼ぎがないようで、サルのピザ屋のピザをつけで食べている。

バギンがサルのピザ屋でのつけを払わないことで、サルはバギンに怒る。それを、バギンは不満に思う。なぜなら、バギンに安定した職がないのは、バギンの努力不足というより、アメリカ社会の構造的な差別に問題があるからだ。

映画「小説家をみつけたら」に出てくる、主人公の兄はこう言う。「お前はしっかり勉強して大学に行って、いい仕事に就け」と。またエリート校に馴染めない主人公に、主人公の兄はこうも言う。「白人たちはちょっと黒人たちにいい思いをさせるとすぐに奪い取ってしまう」。

黒人の所得が、高くないことは、当時のアメリカ社会では、自明の事実だった。黒人には、低所得者が多い。それは、黒人が貧困に置かれ、学校に行く機会を奪われることが背景にあることと、アメリカの社会構造自体が、黒人の社会的成功を阻んでいるからだ。

そのアメリカの構造のことを、言葉に表すなら、黒人差別があってアメリカ社会は大多数の黒人を社会から締め出しているということだ。そして、そのわかりやすい例は、アメリカの警官の黒人に対する扱いだ。

警官は、黒人というだけで、歩いている黒人を止め、持ち物検査をする。もしその黒人がマリファナを持っていたら、マリファナが違法だった時代には、黒人を逮捕した。白人だったら、そもそも警官に止められない。つまり、白人の持ち物検査は通常は行われない。

黒人というだけで、警官に止められる。この事実をもっと具体的に描いたのが、映画「友情にSOS」だ。「友情にSOS」では、車の一部が故障している車を黒人が運転していると、警官に呼び止められるという恐怖が描かれていた。

3人の黒人のアイビーリーグに入っている青年が、クスリをお酒にもられて泥酔している女の子を助けて、パニックに陥る。なぜなら、泥酔した女の子が黒人といるだけで、警官は黒人を逮捕する可能性があるからだ。

泥酔した女の子を、故障している部分がある車に乗せて、その女の子を病院に連れていくというのは、黒人の青年にとっては、命懸けの行為なのだ。その様子が、描かれているのが、映画「友情にSOS」だ。

アメリカ黒人に対する構造的な差別を想像できない人は、日本における女性差別を思い出すといいと思う。女性であるだけで、大学には行かせてもらえず、家事をさせられ、将来は女性差別を無意識にする男のお嫁さんになる。

これは、今では地域によっては緩和されているかもしれないが、まだ名残りがある日本の女性に対する構造的な差別だ。このような、いわば無意識化された差別が、アメリカ社会にも根強く残っている。だから、アメリカの構造的差別は、日本の女性に対する構造的差別を思い浮かべるとわかりやすいかもしれない。

ジョージ・フロイドさんの例を象徴として、黒人差別、特に警察による黒人の殺害に注目が当たることがある。警察による黒人の差別というのは、この場合、警官による無防備な黒人の殺害という形で現れている。

アメリカには、アボリショニストと呼ばれる人たちがいる。直訳すると「廃止論者」だ。何を廃止するか? それは、アメリカの警察や刑務所だ。アメリカの警察は、ジョージ・フロイドさんに限らず、多数のアメリカ黒人を、黒人というだけで殺している。

つまり、アメリカ黒人にとって、警察は殺人者だ。だから警察を廃止しようという運動が立ち上がった。警察は、病院でも、カラードと呼ばれる人たちを、殺している。病院の患者を手荒く扱って、死に至らしめている。

アメリカの刑務所は民営化されていて劣悪な状況なのが描かれているのが、ドラマ「オレンジ・イズ・ニュー・ブラック」だ。刑務所内では暴力が横行して、劣悪な環境だ。アメリカの刑務所では、低賃金で囚人に労働をさせるという搾取を行っている。

刑務所の囚人たちを、格安で雇って会社を経営する、悪質な企業がある。日本でも、地方の最低賃金が安いのを利用して、設計を都市部の高学歴の社員が行い、製作を地方の低学歴で低賃金の従業員に行わせるということをやっている企業もある。

ちなみに、日本でも教育格差がある。都市部や都市部の近郊の方が、地方の学生よりも、高校の偏差値が高いのだ。例えば、ある地方の高校には偏差値が60以上の高校が2つか3つしかないのに比べて、東京では偏差値が60以上の高校が沢山ある。

これは、明確に都市部と地方との教育格差であり、地方の学生はホワイトカラーというよりは、ブルーカラーになるように意図的に構造的に作りこまれているのだと考えることができる。都市部はエリートが育ち、地方では従属階級が育つ。

アメリカに構造的差別があるように、日本でも構造的差別がある。スパイク・リー監督の、この映画「ドゥ・ザ・ライト・シング」では、アメリカ社会の都市部における映画公開当時の社会構造的差別が描かれている。

そしてそれは、日本の社会でも他人事ではない。日本でも女性差別があり、地方差別があり、LGBTQの差別がある。この映画を、観ていると「アメリカは大変だなぁ」と思うかもしれないが、これは日本の社会でも同じことなのだ。構造的差別は日本でもある。

アメリカ映画を観ることで、日本の構造的差別を知るきっかけにもなるのだ。


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