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愛と定住型社会

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映画「月の輝く夜に(原題:Moonstruck)」を観た。

この映画は1987年のアメリカ映画で、ラブ・コメディ映画だ。

この映画の舞台は、アメリカのニューヨーク州ニューヨーク市マンハッタン区のリトルイタリーだ。映画には、有名なマンハッタン・ブリッジの映像もこの映画に登場する。この映画に登場するのはイタリアから移民してきた、イタリア系のアメリカ人だ。

この映画の主人公は、ロレッタ・カストリーニという37歳の女性だ。そしてロレッタの父と母と祖父、ロレッタの働いているお店の店主とその妻、恋人のジョニーと、ジョニーの弟ロニーがこの映画の主な登場人物だ。

ロレッタは、28歳で結婚したが夫はバスに轢かれて死んだ。夫はロレッタとの間に子供を望んだが、ロレッタはそれを拒んだため、ロレッタには死んだ夫との間に子供はいない。ロレッタの母ローズは「私は37歳で子供を産んだわ」とロレッタに言う。

そう、ロレッタには恋人がいる。ジョニー・カマレリという40代の男性だ。ただ、ロレッタは、ジョニーといる時、常に母親役だ。ジョニーに世話を焼くのだ。そして明らかになるのは、ジョニーはマザコンということだ。

ジョニーは、ロレッタに求婚をする。それをロレッタは受け入れる。すると、ジョニーはこういう。「僕の母親が死んだら結婚しよう」と。ジョニーは、マザコンで、母親の代役としてロレッタを求めているのだ。だから、母親が死んだら結婚しようなのだ。

ロレッタは、性愛に失望している。ジョニーにも、大して愛情を感じていない様子だ。ロレッタがジョニーに対してみせるのは、愛情というより世話だ。ロレッタにとってジョニーは、世話の焼ける子供だ。

そんなロレッタの前に、ジョニーの弟ロニーが現れる。ジョニーは、ロニーと5年前から絶交しているが、結婚式にはロニーを呼びたいと考えている。だから、ジョニーはロレッタに、ロニーがジョニーの結婚式に来るように説得するように頼む。

ロレッタがロニーを説得することをロレッタに頼んで、ジョニーはイタリアのシチリアに、死の床にあるジョニーの母親の最期を看取るために旅立つ。そして、ジョニーがいない間に、ロレッタとロニーは恋愛関係になる。

ロレッタがロニーに会いに行くと、ロニーはジョニーのことを恨んでいることが明らかになる。ロニーは仕事の最中に、ジョニーとの会話に気をとられ、左手の指を切断してしまう。それが原因で、ロニーは付き合っていた恋人と別れて、不幸のどん底に落ちる。

ロレッタがロニーの働いているパン屋で、そのことを知ると、ロレッタはロニーに共感を抱く。夫を喪失したロレッタ。左手の指と、恋人を喪失したロニー。ロレッタは、ロニーに共感する。

一方、ロニーの方では、兄ジョニーに対する復讐感で燃えている。ジョニーが、ロニーの左手の指と、恋人を奪ったように、その仕返しとして、ジョニーの婚約者であるロレッタをジョニーから奪ってやる。ロニーはそう思っている。

左手の指と、恋人を失ったことを、ロレッタは違った解釈をしている。ロレッタは言う。「あなたは恋人と別れることを望んでいたのよ」と。つまり、ロレッタは、ロニーは結婚というものから逃げるために、自らを自分で不幸のどん底に追い込んだのだという。

ロニーは自ら不幸を望んだのだ。というより、ロニーは、その恋人と結婚したくなかったのだ。なぜか? 人は結婚していても、多くの恋愛対象と関係を持とうとする。それが、この映画の中にある返答だ。

ロレッタも、ロレッタの父コズモも、浮気をしている。その浮気を、ロレッタの母ローズは気付いている。そこで、ロレッタの母ローズの“人はなぜ浮気をするのか?”という問いが明らかになる。

ロレッタの母、ローズによると、人が浮気をするのは、「死に対する恐怖からだ」ということになる。自分が死ぬことへの恐怖から、多くの人間とセックスをして、生を実感して、子供という生まれたての存在を多く残す模擬をする。

ローズの言葉からはそう解釈できる。ローズも、レストランでニューヨークの大学で教授をしている男と出会い、その男にセックスに誘われる。ローズはセックスの誘惑に誘われながらも、その男とのセックスを避ける。

これは、どういうことだろうか? ローズは死の恐怖に立ち向かうことが、恐くはないのか? 多分、ローズは死の恐怖を感じてはいるが、それに立ち向かうすべを知っている。それは、何気なく家族と過ごす日々が、死の恐怖を紛らわしてくれるというものかもしれない。

それは、ローズの諦めかもしれない。人は誰でも死ぬ。ローズはそう自覚している。人は予告もなく突然死んだり、老衰で死んだりする。人は、必ず死ぬ。死の恐怖から逃れようとしても、人は必ず死に死の恐怖から逃れることは無理だ。

そこには、ローズの達観と諦めが混在しているのかもしれない。浮気をする、夫のコズモにローズは言う。「もう浮気をしないで」。すると、コズモはテーブルを大きく1回叩いた後に言う。「わかった」と。

死への恐怖。それは人が特に、生きることに喜びを見出している人が特に強く感じるものだ。生が充実していればいるほど、人は死の恐怖を感じる。ただ、今の日本には、生きていても、死んでいても同じという人も存在する。

社会学者の宮台真司は言う。「生きていても、死んでもそんなに変わらないから、死んでしまってもかまわないと感じる人たちがいる」と。それは、ある漫画家の作品と、その漫画家の自殺からも、現れていると宮台真司は言う。

このイタリア系の家族はどうか? 生きていても死んでいても同じか? いや、違う。このイタリア系の家族は生を謳歌しようと必死に生きている。ロレッタは夫に死なれて、失望の底にいるが、ロニーという生きる喜びを見つける。

この映画の原題は“Moonstruck”だ。この訳をオックスフォード現代英英辞典でひくとこうある。”slightly crazy, especially because you are in love”。訳すとこうだ。”ちょっとクレイジー、特にあなたが愛の中にいるから“。

恋人の兄弟と恋に落ちるのも、妻以外の女性と寝るのも、クレイジーだ。ただ、それはあなたが愛の中にいるからだ。愛は突然襲い掛かってくるものだ。それは、コントロールの外にあり、人はその感情に襲われると、それなしには生きることができない。

愛に生きることと。定住型社会に生きること。愛の在り方と、定住型社会の掟・法。それは時にぶつかり合い、時にうまくやっていくことができる。愛を定住型社会に着地させること。それは、時に難しいことだが、人はそれでも定住型社会でうまくやってのけることもできる。そうなのかもしれない。


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