映画「群盗荒野を裂く(原題:Quien Sabe?)」を観た。
この映画は1967年のイタリア映画で、映画のジャンルはアクション映画だ。
この映画の原題は、スペイン語で“誰が知っているのか?”という意味だ。“誰が知っているのか?”…。いきなり唐突にこう尋ねられても、わけがわからないが、この映画について知れば、おのずとこの問いに対する答えも見えてくる。では、解説していこう。
まず、この映画の舞台は、1910年代のメキシコだ。1848年にメキシコとアメリカ合衆国との間の、アメリカ=メキシコ戦争(米墨戦争)が終わってから、約28年後、メキシコは独裁者ポルフィリオ・ディアスが君臨することなる。
メキシコは、アメリカ=メキシコ戦争で、アメリカ合衆国と戦ったが、独裁者ディアスは、アメリカとの対立よりも、積極的にアメリカの指示に従うことを選んだ。いわゆる、メキシコのディアスの下のメキシコには、アメリカの傀儡政権があったとも言えなくはない。
戦争よりも、投資と独裁者を使って、アメリカ合衆国はメキシコを支配した。その統治の方法は、かなり手荒なもので、メキシコの人たちの不満は高まっていた。メキシコの人たちの不満が高まって、1910年代に、メキシコ革命が起こる。
では、アメリカのメキシコ支配とは、どんなものだったのか? を説明したい。ディアスは、アメリカを主とした外国から、投資を受ける。そして、ディアスはメキシコ現地の人たちの土地を、暴力を使って取り上げる。
メキシコ政府が、メキシコ人から取り上げた土地に、外国から投資されたお金で、工場や大農園を作る。労働者には、土地を奪われたメキシコ人などを使い、そのメキシコ人たちを安く雇う。こうして、メキシコはアメリカ主導のグローバル・エコノミーを完成させた。
つまり、メキシコの現地民の土地の略奪により、このアメリカによるメキシコ支配は成り立っている。映画「奇傑パンチョ」では、メキシコの現地民が政府に土地を強制的に取り上げられて貧困に陥っている姿が描かれていた。そして、教会も政府とグルだ。
教会と言えば、白人のキリストの姿が思い浮かぶ人が多いと思う。教会とディアス政権とアメリカ合衆国。それは、つまりは白人至上主義だ。白人のための世界を、それも一部のリッチな白人のための世界を築こうとするのが、白人至上主義だ。
この映画「群盗荒野を裂く」に出てくる登場人物たちは、肌が浅黒い人たちだ。つまり、メキシコに住んでいるのは、白人ではないということだ。だから、白人至上主義のアメリカ合衆国は、メキシコでなにをやっても許される。
白人至上主義だから、現地民から土地を取り上げて、現地民が貧困に陥っていても、白人至上主義に担がれた独裁者のディアスには、関係のないことだ。ディアスのような、寄らば大樹の下という日和見主義者が、メキシコをアメリカに支配させてもらっているとも見れる。
そのような状況にメキシコの人たちは、納得していない。土地を取り上げられて食べる物がなくなっているのは、メキシコ政府とアメリカ合衆国政府のせいだと、メキシコの人たちは当然気付いている。
ラテン・アメリカは、欧米によって支配されてきた歴史がある。スペイン、ポルトガルをはじめ、欧米の国々がラテン・アメリカを支配してきた。そして、アメリカが中心となって、メキシコを支配していたのが、1800年代後半のメキシコだ。
1910年代はメキシコ革命の時代だ。アメリカの支配下に置かれたメキシコが、自分たちの統治を成し遂げようとしたのが、1910年代のメキシコだ。そのメキシコ革命の状況を描いた映画の一つが、この映画「群盗荒野を裂く」だ。
ここで、冒頭に書いた、“誰が知っているのか? ”についての筆者なりの回答を書きたい。これは、こう書き換えることができるのではないか? “誰がメキシコの将来を知っているのか? ”と。そして、その答えを示してくれるのは、この映画の主人公のチュンチョだ。
チュンチョは、この映画の邦題のタイトルにあるように、荒野を馬に乗って駆けて裂いていく群盗の一人だ。チュンチョは、リーダーでもなくて、手下というわけでもない。チュンチョは、できる限り、自分のために、そして人のために生きようとする群盗のうちの一人だ。
チュンチョは、自分のボスにも頼らないし、国のために生きているかもよくわからない。しかし、農民のために生きているようで、実は農民のためにも生きていない。チュンチョは、独立して自律した人間になるべく生きている、そう言えるのかもしれない。
メキシコは、アメリカの傀儡政権のディアスの下で、ボロボロの状況になっている。メキシコ人は飢えている。その状況を、憂いていたのは、メキシコの中流階級と上流階級だった。この映画では、群盗がメキシコの中流以上の階級の家を襲うシーンがある。
メキシコでは、白人系の上流・中流階級が存在したことを、この映画「群盗荒野を裂く」では示している。サン・ミゲル村の、中流以上と思われる人の家を、チュンチョが襲うシーンが出てくる。チュンチョは、その家の主人の妻をレイプしようとする。
そのチュンチョのレイプを止めるのが、アメリカからやってきた、革命を阻止しようとする男だ。メキシコ革命を阻止しようとするアメリカ人が、チュンチョの野蛮性を正す。アメリカ人は、自らの野蛮性を正当化しようとするのにもかかわらずだ。
この映画「群盗荒野を裂く」に出てくるアメリカ人は、「頭は空っぽで、お金持ち」と表現される。“頭が空っぽ”というのは、アメリカ人の非情さを現わしているのかもしれない。金のことしか考えていないアメリカ人は、メキシコ人の辛さはわからない、と言っているかのようだ。
つまりのところ、チュンチョもアメリカ人も同等に野蛮だ。アメリカ人はお金のためにメキシコをボロボロにして、群盗はメキシコの解放を求める上流階級や中流階級を殺す。血で血を洗う戦いが、メキシコで起こっていたのだ。
ディアスの統治のもとで、国の使者により1万人以上の人が殺された。そして、1948年から1928年の間に、白人によるリンチで千人以上のメキシコ人が殺された。アメリカによるメキシコの支配のために多くの血が流された。それは、政府によるものもあったし、白人によるメキシコ人差別が原因のリンチによるものもあった。
産業革命が起こり、工業化が始まった時期に、メキシコでは独裁者が政府を牛耳っていた。そして、アメリカの支配下でメキシコ人がメキシコ人を殺して、メキシコは工業化が進む中で、農民は地位を落として、土地はアメリカ人投資家の手に渡った。
韓国のジェジュ島でも、アメリカが虐殺を現地の警察や軍人や右翼を使って引き起こした。その虐殺の生存者の姿を追ったのが映画「スープとイデオロギー」だった。そして、この映画「群盗荒野を裂く」では、アメリカの投資家が操るメキシコで政府がメキシコ人を貧困に追いやり殺している。
“誰が知っているのか? ”メキシコの未来を? それは、アメリカ人投資家ではなくて、メキシコに住んでいる人たちではないか? そして、アメリカの投資家や独裁者ディアスのような力を持つことになる人は、そこに住むすべての人のために生きるべきだ。
※出典 ・ブリタニカ国際大百科事典 ・"Bad Mexicans Race, Empire& Revolution in the Borderlands" Kelly Lytle Hernandez 2023