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スターは真実を隠す

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映画「誘拐捜査(原題:解救吾先生 Saving Mr. Wu)」を観た。

この映画は2015年の中国映画で、映画のジャンルは犯罪・サスペンス映画だ。

この映画を観ているとわかるのが、中国社会の監視社会の状況だ。監視カメラに、音声認識マイク、顔認証のデータベース、DNAプロファイル等が、現在の中国で実際に使用されていることがニュース等で明らかになっている。

この映画の冒頭は、中国の有名スターであるウー(吾)が、誘拐犯に捕まることから始まる。犯人の目的は身代金の要求だ。誘拐の主犯格のホアズは、ウーから直接カードの在りかを聞いて、お金をウーの知人に引き下ろさせることを実行に移そうとする。

この映画は、中国の警察と、誘拐犯との攻防を描いたものだが、この映画の中で目立つのは中国の警察の組織力だ。監視システムを駆使して、犯人を20時間以内に捕まえる。そのテクノロジーとスピード感に映画を観ている者は圧倒される。

この映画は展開が早い。1つのことが起こると、また次のこと、というように、映画の見どころが次々に現れる。映画の早い展開に、映画を観ている者は映画に見飽きることなく、映画を観ることができる。

この映画は、中国警察の組織力を描いた映画だということができると思う。監視システムを使った中国警察の捜査能力は非常に高い。これが、中国の民主主義化を目指す中国の活動家に対して使われたら、中国の民主化を求める運動は、即座に弾圧されるだろう。

主犯格のホアズの身元と居場所の特定の仕方を、中国の活動家の身元の特定と居場所の特定に使うと考えながら映画を観ていると、中国警察の監視力の高さが、中国の活動家にとって脅威になっていると考えることもできる。

この映画を観ていると、中国の監視カメラの多さに驚く。日本でも最近は都市部では監視カメラが多くあるので、これは中国だけの現象ではないこと明らかだ。ただ、日本の警察は、中国の警察ほど組織力はないかもしれないし、中国の警察の顔認証データベースには、劣るのかもしれない。なぜなら、中国では犯人逮捕までの時間が20時間だからだ。

日本の警察が監視システムを使うことには、個人的に非常に抵抗を感じるが、イノセントな人が犯罪に巻き込まれた場合に、その事件の解決のために、監視システムを使うことには、多くの人が合意するかもしれない。

監視システムをどこまで許して、監視システムをどう管理するのか? それは、重要な問題だと考えられる。なぜなら、警察権力は、民衆の自由を監視システムによってスポイルする可能性もあるからだ。

ジョージ・オーウェルの小説「1984」に出てくる監視社会が、現実のものとなっているのが中国社会だと言える。オーウェルの小説「1984」は、監視社会の“悪”の部分を描いた小説だが、この映画「誘拐捜査」は、その監視システムを“正義”のものとして描いた映画だ。

つまりこの映画「誘拐捜査」は、中国政府に都合が良いものとして作られた国策映画だということができる。有名スターの実際にあった誘拐事件を取り上げた映画で、中国国民の目を、中国の監視システムを民衆にとって都合の良い方向に向けるのにこの映画は役立っている。

この映画で、中国の風景で目に入ってくるのが、都市部の高級化と、農村の貧困だ。ただ中国の貧困は、日本の貧困と比べて、経済発展の余地が明確に示されているため、日本ほどの絶望感はないかもしれないと言いたくなる。

ただ、経済的発展が人々の幸福度の高さとは言い切れないので、中国の幸福度が見た目ほど高くないこともあり得る。国連の「世界幸福度報告書2018」での中国の幸福度ランキングは、日本の54位よりも低い、86位だ。

国連の調査では、中国の幸福度は日本よりも低い。ただ、中国の経済は発展している。しかし、中国の幸福度は低い。これはきっと中国の労働者階級の労働条件が良くないことや、中国社会の民主化への弾圧が背景にあるのかもしれない。

つまり、中国の国民も日本の国民と同じように現状に絶望しているのかもしれない。経済発展の余地があっても幸福度は低い。それは、「私たちはこうなれるのに、現状はこうだ」という悲観から来ているのかもしれない。

日本よりも幸福度が低い中国の国民。そんな中で作られた、スター誘拐の話。裕福なスターは、人々の羨望の的だ。しかし、なぜ人々は、自分たちの持ち分を奪っているスターに感情移入をするのだろうか?

なぜ、人々はスターを羨望するか? なぜ人々はリーダーを求めるのか? なぜ人々は、1人の人間を担ぎ上げるのか? 例えば、ドイツのヒトラーのように。ドイツ国民は、ユダヤ人を虐殺したヒトラーをリーダーとして求めた。

中国の国民の貧しさは、中国のエリートが民衆を搾取していることで起きていると言えるだろう。どこの国でもそうだ。エリートは、莫大な稼ぎを出すために、下層の労働者の稼ぎを少なくして、自分たちの取り分とする。

民衆がそのような状況に従順でいるのは、民衆がエリートと比べて平和的で、平穏を望むからだ。その平穏が偽りの平穏だとしてもだ。つまり、エリートは民衆の愚かさに付け込んでいるということもできる。

民衆の臆病さ、それが権力者にとっての格好の材料だ。民衆はめったに怒らない。怒っても民衆の中からちょっと優遇して軍人として選抜して採用すれば、その軍部が民衆を叩きのめしてくれる。民衆は、エリートの生活に憧れているからだ。

民衆のエリートに憧れるのは、エリートが豪華に着飾っているからだ。民衆は視覚的効果に弱い。その豪華さと、自分の身なりを比べて、民衆はエリートを羨望する。そのエリートの一部がスターだ。

スターは、民衆を飼いならすためのエリートの仲間だ。君たちも明日にはスターになれるよ、と言って、エリートは民衆を飼いならす。その時に、エリートの一部であるスターに民衆は反感を持たない。それは、映画によるプロパガンダによるものだと考えられる。

映画のプロパガンダは、貧しい人が、善行と努力のために、良き人として生きるために努力をするという様子を描くかもしれない。そこでは、映画スターも苦労人として描かれる。実際に、スターが豪華な暮らしをして、国のエリートと交友があるとしても。

「映画スターはエリートとは違う」と。だが、映画スターは、エリートだ。エリートのために、エリートに対する国民の怒りを浄化するために、スターは演じる。スターは、エリートの非情さを隠してしまうかもしれない。

映画というプロパガンダを、簡単に信じていてはいけない。そして、それはどの国の映画でも、観るのには注意が必要ということだ。


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