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狂った世界に、時折、さす光

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映画「オフィサー・アンド・スパイ(原題:J’accuse)」を観た。

この映画は2019年のフランス・イタリア合作映画で、映画のジャンルは歴史サスペンスだ。

この映画の舞台は、19世紀後半から20世紀前半にかけてのフランスだ。原題のJ’accuseとは、フランス語で“私は告発する”という意味だ。この原題の意味は、映画を観ているとわかる。主人公が手にした新聞の見出しが、この原題と同じになっているシーンがあるからだ。

この映画の主人公は、マリ-ジョルジュ・ピカールという軍人だ。このピカールが、フランスの諜報機関に入ることにより、フランス軍ユダヤ人、アルフレッド・ドレフェスが、間違った逮捕をされたことが明らかになり、ピカールは事件に巻き込まれていく。

なぜ、ドレフェスが間違った逮捕をされたかというと、簡単に言ってしまえば、それはドレフェスがユダヤ人だからだ。当時のフランスではユダヤ人差別が色濃く、民衆だけでなく国の上部もユダヤ人差別をしていた。

この、ドレフェスの間違った逮捕の理由は、ドレフェスが、軍の機密情報を外部に漏らしたからというものだ。ドレフェスが機密情報を書いた手紙を、軍の外部の人間に送っていたというのが、ドレフェスの罪状だ。

しかし、この手紙というものは、諜報機関の長であるピカールが読んでみると、筆跡はドレフェスのものではなく、しかも手紙の内容というのは機密情報というものの程ではないただの手紙に過ぎないことが明らかになる。

つまり、ドレフェスに対する罪状は、ドレフェスがユダヤ人であるために勝手に、ドレフェスの前任者の諜報機関の長が捏造したものであることが、ピカールによって明らかになる。ドレフェスはユダヤ人差別のために罪を勝手に作り上げられ、捕らえられた。

そのドレフェスの差別的な逮捕の不当さを“告発して”、ドレフェスの無実を証明して、堕落した軍を正すのが、ピカールだ。

ピカールの見方は多くはない。諜報機関の部下たちは、全員ピカールの敵だ。ピカール諜報機関の長として就任した時から、諜報機関の部下たちの態度は、ピカールに対して非服従的だ。それは、きっと諜報機関の軍人たちは、すべての軍人の内情を知っているからだろう。

諜報機関は、同じ軍人が、軍の情報を漏らしていないか調べている、そしてその過程で、同性愛のセックスの現場を盗み聞きして、「ハンサムな軍人とあの上司は恋人同士だ」とか言っている。つまり、諜報機関の仕事は、非常に疑り深い仕事で、その過程で個人のプライバシーは関係がなくなる。

そもそも、なぜただの手紙が、密書とされたのか? それは諜報機関のこういった特徴と深く関係している。つまり、諜報機関の人間は仕事に客観性がないのだ。疑いだすと、その疑いはどこまでも疑うことができて、何もないところから偽の事実が発生することなる。

機密情報を、上司が恋人の部下に話すのではないかと、その2人のセックスを盗み聞きする。ただの手紙を、密書であると判断する。諜報機関は、疑いの目をすべてのものに向けるために、真実の判断が難しくなる。

そのような諜報機関の在り方を、明確に表しているのが、ピカールの前任者の諜報機関の長が、梅毒にかかって脳を犯されていたという映画の中の描写からだ。つまり、諜報機関は、梅毒のような病にかかっている。

病にかかっておかしくなっているのは、諜報機関だけではない。フランス国民も、軍部も、政府もおかしくなっている。そう言っているのかのようなのがこの映画だ。ドレフェスを差別して濡れ衣を着せて逮捕する、軍部のおかしさ。

ドレフェスがユダヤ人だからと、ドレフェスの見方をした新聞を焼き捨てるフランス国民。ドレフェスの見方をするピカールを襲う人。ドレフェスの弁護をする弁護士を銃撃する人。アフリカの地を植民地化するフランス。ピカールの不倫相手を、機密を知っていたと責める軍と、その不倫相手の夫の妻への仕打ち。どれもが、何かおかしい。

そのおかしさを、無言に、時として盛大に告発するのが、この映画「オフィサー・アンド・スパイ」だ。

フランスによるアフリカの植民地支配について、明らかになるシーンがこの映画にはある。それは、ピカールがドレフェスの無実を訴えて、軍からにらまれ左遷された先の赴任地を語ったセリフを聴けばわかる。

ピカールは、ソム県→ニース→マルセイユ→アルジェ→チュニジア→アフリカ分遣隊の順に左遷されて、移動している。「服を着替える暇もなかった」とピカールは弁護士のルブロワに言う。

映画「アルジェの戦い」は、フランスの植民地であった、アルジェリアの過激な抵抗者を描いた映画だった。この映画「アルジェの戦い」を観てわかるように、フランスはアルジェリアの人たちを抑圧、弾圧していた。

それが、フランスのアフリカの国々に対する態度だったと考えられる。ヨーロッパの植民地主義は、現在の世界でも行われている。アフリカは工業化のための資源が豊富な土地だ。また、食品の材料もとれる。

工業化の成果の最も悲惨な産物である原爆は、日本の広島に落とされた。その原爆に使われているウラニウムはアフリカのコンゴから採られたものだ。そして、コカ・コーラの材料になるコカの木も、アフリカ大陸から採られたものだ。

植民地支配というのは、ヨーロッパがヨーロッパ以外の土地に、武力と企業で侵略をして、現地の資源や土地を奪うものだ。そこでは、フェアトレードは行われない。そこで行われる取り引きは、差別的で不平等なものだ。つまり、ヨーロッパは、外地を搾取する。

そうした植民地の現地民は非常に安い賃金で雇われて、土地はヨーロッパの上流階級とつながった現地の有力者に奪われる。もちろん、資源はタダ同然の値段だし、労働の条件も悪い。児童労働も行われる。

そのように支配された植民地では、民主化の運動が徐々に起こる。現地の人たちは自分たちが置かれた状況に気付いている。だからそこからの脱却をはかるために、映画「アルジェの戦い」で描かれたような抵抗運動が起こる。

たとえ植民地が独立したとしても、宗主国のヨーロッパの国々は、企業やIMF世界銀行を使って、植民地支配の形態を続けようとする。それは、現地の民主的な政権を、ヨーロッパに飼いならされた軍事的な政権にすることによって行われる。

軍部が政権を握ると、国民は尋問や拷問にかけられて、弾圧される。つまり、言論の自由も、集会の自由も、思想の自由もなくなる。つまり、人々は抑圧される。このような状況にあるのが植民地の状態だ。

つまり、この映画で正義に見えるピカールも、軍人で植民地を支配しているフランスの一部だ。そして、ドレフェスもその軍人で、立身出世を願っている。

おかしいのはピカールに敵対する諜報機関を含む軍と、一部の差別的なフランス国民だと映画を観ていると思えてくるが、実は、この映画の描き出している世界のすべてが狂っているのかもしれない。


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