Quantcast
Channel: nyfree’s blog
Viewing all articles
Browse latest Browse all 70

差別を演出に利用して、その差別を巧妙に隠す

$
0
0

映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー(原題:Back to the Future)」を観た。

この映画は1985年のアメリカ映画で、映画のジャンルはタイムトラベル・SF・アドベンチャーだ。

この映画の主人公は、マーティ・マクフライという高校生くらいの少年だ。マーティは、ロック・ミュージックが好きで、ジェニファーという美人の彼女もいる。が、マーティの父はうだつが上がらず、母親はアル中で容姿が崩れ、兄と姉はなんだか間抜け。

この映画中のマーティの家族描写は、非常に差別的だ。父のジョージは、会社で上司のビフという暴力的な男のしもべとなっており出世できない残念な男。母親のロレインは、アル中で太っている。兄のデイヴと姉のリンダは、それぞれ、デイヴは落ちこぼれ社会人で、リンダはオタクな見た目で、冴えた感じがしない。

仕事できない男はダメ男。アル中で太った女性はダメ女。オタクな人間はダメ人間。このような見方が、この映画ではみられる。それぞれの人たちの内面が深く掘られることはない。偏見というものがこの映画には明らかにあって、それ偏見を利用してこの映画を盛り上げるのが、この映画の監督ロバート・ゼメキスだ。

ロバート・ゼメキスは「フォレスト・ガンプ/一期一会」「コンタクト」「キャスト・アウェイ」「フライト」「ザ・ウォーク」という傑作映画も撮っている名監督だ。ただ、この映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」を観てわかることは、前述したように差別意識が根強いということだ。

映画「ブレックファスト・クラブ」で描かれたように、アメリカの高校には、生徒のタイプごとに異なった集団がある。体育会系でチアリーダーと付き合う人気者集団、マリファナをやってロックを聴く不良集団、運動はだめでオタクな趣味を持つ集団、というように。

そのヒエラルヒーを、明確に意識して映画に登場させているのが、この映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」だ。だから、この映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」はこの部分だけでも、非常に差別的な映画だということができる。

この映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」には、黒人が登場する。それは、1985年のカリフォルニアのヒル・バレーの市長選に出馬をして、古くなった時計台を壊そうという提案をしているゴールディ・ウィルソンという黒人男性だ。

1955年にマーフィがタイムスリップした時点で出会う、黒人のダンスパーティーのバック・バンドのメンバー。父ジョージをいじめていた不良グループに立ち向かったため、黒人バンドの車のトランクに投げ入れられたマーフィを助ける黒人グループのギタリスト。

ギタリストがマーフィをトランクから出す際に手を切ってしまい、マーフィがバック・バンドのギターを務めることになり、そこでチャック・ベリーの「ジョニー・B・グッド」をマーフィが弾いて、それを手に怪我した黒人ギタリストが電話で、チャック・ベリーに新しいサウンドだと聴かせる。

つまり、黒人ギタリストの手を怪我させたお礼として、マーフィはチャック・ベリーの曲をチャックに聴かせるとも言える。黒人が、白人のロックを盗用したことになる捻じれ。ロックという音楽は、白人男性が黒人の音楽から影響を受けて作ったものだ。

それがこの映画では、黒人が白人の演奏する音楽を盗用したことになる。時計台を壊そうとしているのも、黒人だ。なんだか、ロバード・ゼメキスが描くこの映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の中では、非常に黒人に対する敬意が欠けている。

まるで古き良き白人の世界であるアメリカを、黒人が侵略しているかのような描き方だ。

また、社会的にイケていない人たちの存在も、明確に馬鹿にされている。この映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」は非常に差別的な映画だということができないだろうか?

ただ、映画のテンポは非常によく、この映画が大ヒットしたのもうなずける。次から次へと事件が起こり、その事件がそれぞれ明確でわかりやすい。リビアの過激派にデロリアンをタイム・マシーンにしたドクが銃撃されたり、ドクが時計台から落ちそうになったり。母親と息子のキスシーン、父親と母親のキスシーン、ビフとの対決、タイムスリップ先でエイリアンと間違われる、など。

ただ、友達のマーフィになぜデロリアンをタイム・マシーンにしたのかと聴かれて、ドクはこう答える。「どうぜなら、かっこいいタイム・マシーンいいだろ」と。ここでも、明確に世間の差別意識を利用して、それを映画を盛り上げる効果にしている。

この映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」は差別意識を利用した映画だと言える。ただ、この映画には差別を克服した黒人の姿も描かれる。皮肉な形で。白人の経営しているダイナーで、雑用として働いている1955年のゴールディ・ウィルソンは、1985年では市長に候補者として出ているからだ。

だが、時計台に反対するのは白人の女性だ。時計台の取り壊しに反対をして、時計台を壊そうとしているゴールディの落選を望んでいるようだ。その女性が、なんだかけなげに描かれる。そして、時計台を壊そうとするゴールディは悪者のように描かれる。

黒人が市長選に出馬しているという良い出来事を、濁すかのような演出がされている。1960年代の黒人公民権運動後も黒人差別が続くアメリカで、1955年という時代を生きた黒人が選挙に出馬しているのに!! 

ただ、単にこの映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」が、すべて差別的かというとそうでもない。黒人が市長選に立候補するし、マーフィはチャック・ベリーをきっと好きだ。

ただ、どこか黒人に対して、オタクな人たちに対して、異心地が悪い気分にさせるのが、この映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」だ。それは、ロバート・ゼメキスの映画「フォレスト・ガンプ」にも言えることだ。

映画評論家町山智浩さんが指摘するように、映画「フォレスト・ガンプ」は黒人差別が存在しないかのように描かれる映画だ。ここでは、ガンプという障碍者が主人公だが、そこでも黒人への負の歴史は隠される。

ロバート・ゼメキスは、ヒットメーカーだと言うことができるだろう。だが、ロバート・ゼメキスは、偏見や差別意識が非常に強い監督だということが、この映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」からも言うことができる。

凄く映画としてはテンポが良くて最後まで退屈せずに観ることができるが、実際その演出は、差別や偏見を利用して、助長して、白人に都合の良いように描かれる、というのがロバート・ゼメキスの映画かもしれない。差別を巧妙に隠すのだ。だから、よりいっそうたちが悪い。

少なくとも「バック・トゥ・ザ・フューチャー」と「フォレスト・ガンプ/一期一会」についてはそういうことができる。

映画評論家町山智浩さんが、映画「フォレスト・ガンプ/一期一会」を非常に怖い映画と言ったように、僕は映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」が実は、非常に怖い映画であると言いたい。


Viewing all articles
Browse latest Browse all 70

Trending Articles