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本当に”生きる”

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映画「生きる LIVING(原題:Living)」をAmazon Prime Videoで観た。

この映画は2022年のイギリス映画で、映画のジャンルはドラマ映画だ。

この映画の舞台は、第二次世界大戦後の1953年のロンドンだ。この映画の主人公は、ウィリアムズという公務員の男だ。ウィリアムズの仕事のやり方は、公務員の怠惰な仕事のやり方に染まっており、市民からの要求もすべて他の部署に横流しする。

公務員は、国民のための公僕のはずなのに、ウィリアムズを代表とする公務員は、市民からの要求を軽視して、上からの支持に従い、市民の生活改善に前向きに取り組むどころか、仕事で手抜きをするために、市民からの請求を見てみぬふりをする。

職場で意欲を失うと、ウィリアムズのような怠惰な人間ができあがる。要求を上司に通すのが面倒で、仕事を消極的にしかしなくなる。で、ウィリアムズの職場は、怠惰な雰囲気が流れている。「市民の要求は無視しろ。上からの指示のみに従え」と。

そんな仕事の仕方をしているウィリアムズは、映画の冒頭で医者に「後、半年か、長くて9カ月の命です」と告げられる。すると、ウィリアムズの中に、長年蓄積していた、ウィリアムズ自身の生き方に対する不満が現れるようになる。

「自分は人間として生きていないのではないか??」という大きな問題が、ウィリアムズの中にもたげ始める。そして、ウィリアムズは、貯金の半分を下ろして、少し遠くの場所まで出かける。そして、そこで普段はしていなかった、自堕落な生活をしてみる。

ウィリアムズは、お酒を飲んで、キャバレーに行く。そして、それでも満たされない気持ちを、公務員の部下のハリスに相談する。公務員の仕事に向いていなかったハリスが、公務員で課長を務めているウィリアムズに本当に生きる目的を見つけさせる。

ウィリアムズが、本当に生きるために見つけたことは、“市民のために生きること”だ。貴族の上司のご機嫌をとって、統治権力に都合の良い政策の歯車になっているのではなくて、統治権力ではなくて、本当の国の主体である市民のために、市民の要求を実行すること。それが、ウィリアムズに生きる本当の目的を与えてくれることになる。

イギリスは階級社会で、公務員の上層部には階級が上の人たちがいる。階級の上の人たちが、公務員の機関を仕切っている。そして、その上司たちは、市民のためではなくて、より上からのプレッシャーで動く。つまり、公務員はすべて怠惰だ。

卓越者主義というものがある。エリートが良いことはすべて知っているので、エリートにすべて任せておけば良いという考え方だ。ただし、エリートにも真のエリートと、ただ贅沢したいだけの堕落したエリートが存在する。

この映画が示すのは、大半のエリートは自分の出世のことばかり考えていて、市民のことなど考えていないということだ。自己中心的で偽善的、そんな人たちが、仕事をしている人たちの正体だ。上のことばかり気にして、やる気のない上司ってどこにでもいるでしょ!?

この日本でも、やる気のない上司は多く存在する。やる気のない職員も多く存在する。公の利益よりも、自分の出世が気になる人たち。世間にはそんな人たちが、残念ながらあふれているようだ。

これは、日本だけの問題ではない。この映画はU.K.の映画だ。世界のどこでも、権力に媚びて、市民のことを無視する人たちは存在すると、この映画「生きる LIVING」は、私たちに知らせてくれる。

例えば、アメリカ警察。アメリカ警察は統治権力の言いなりで、市民のプロテスターを弾圧する。警察やセキュリティーは同類で、警察やセキュリティーが、市民を冷たくあしらうのは今でもある。これは、過去の話ではない、最近も共和党のレイピストだとされるピート・ヘグセスの上院公聴会で、元アメリカ軍人のホームレス等を訴えた会場出席者を、公務の執行として会場からつまみ出した。

ピート・ヘグセスは、仕事を酒を飲んで行っており、女性をレイプして、財政上のミスをしたとされており、散々な元軍人だ。ピート・ヘグセスはプリンストン大学を、卒業した後従軍しており、フォックスでコメンテーターを務めたりしている。

ピート・ヘグセスは、トランプ次期大統領(2025.1.18現在)に、アメリカ合衆国国防長官に指名されており、トランプとはレイピスト仲間?? ということで、トランプとの仲も良い様子だ。

2025年1月14日火曜日、ピート・ヘグセスは、民主党の主催した上院公聴会で、自分が犯したとされるレイプ・女性への暴力の問題で、問い詰められていた。ピート・ヘグセスは、女性やLGBTの人たちへの、下げずんだ発言でも知られている。

その会場で、元軍人の置かれたホームレスという状況を訴えた、元軍人のグレッグ・ストーカーという男性もいた。グレッグは、元軍人の反戦運動家で、今の社会を変えようとしている運動家の一人だ。

そのような、善意の運動家を羽交い絞めにして、会場から引っ張り出すのが、セキュリティーや警察の仕事だ。その仕事内容に、警察やセキュリティーは疑問を持たないのか?? それは、上からの圧力で公務を黙々とこなすウィリアムズにも当てはまることだ。

先の、ピート・ヘグセスの上院公聴会の図式を単純化するとこういうことだ。つまり、共和党のレイピストだとされる人物への抗議とパレスチナ虐殺へ加担する民主党への抗議をした平和的な市民を、公権力が力で排除した、ということだ。

日本でも公文書を上司の圧力で改竄した赤木さんが、自殺している。公権力の圧力が、公務員を縛り付けることは、世界中のどこにでもあることだと言っていいのかもしれない。ウィリアムズも公権力になかなか逆らうことができなかった人物だと考えることができる。

公権力と闘う?? それって、私とは遠い話です、という、責任から逃げ続ける人が、世の中には存在する。そういう人たちは自分で思考をすることをしない。せっかく学校で得た知識も、使おうとはせずに、ただなんとなく日常を過ごしている。

この映画「生きる LIVING」は、そのなんとなく日常を過ごしている、すべての人たちに、「君はそのままでいいのか!?」と問いかけてくる映画になっている。ウィリアムズは、下水で汚れている場所を歩き、人生の最後にようやく市民のために生きた。

真に人のために生きること。それは、そんなに難しいことではない。例えば、仕事。今の自分の仕事は、少し方向を変えるだけで、もっと人の役に立つのではないかと思い、ささやかながらでも行動すること。それが、きっとこの世界を変えていく。ウィリアムズのように、グレッグのように。

 


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